ホーム > お節句よもやま話  >ショウキ様とエンマ大王は違うよ

お節句のよもやま話・・・・・端午の節句

⇒武士のダンディズム・・・鎌倉武士(北条家家訓)

 

ショウキ様はエンマ大王ではないよ~


怖い顔をしているので、
ショウキ様と閻魔(エンマ)大王と間違う方が多いようです。


端午の節句の由来は中国なのですが、
現在ではその風習が日本に多く残っているのは不思議なことです。

鍾馗と書いて「ショウキ」と呼びます。
なんともこの二文字は漢字のクイズでも無ければお目にかかれないですね。

ショウキ様は話せば長くなりますが、ウイキペディアからの引用によれば下記の通りです。

鍾馗の縁起については諸説あるが、もともとは中国の唐代に実在した人物だとする以下の説話が流布している。
ある時、唐の6代皇帝玄宗が瘧(おこり、マラリア)にかかり床に伏せた。
玄宗は高熱のなかで夢を見る。宮廷内で小鬼が悪戯をしてまわるが、どこからともなく大鬼が現れて、小鬼を難なく捕らえて食べてしまう。
玄宗が大鬼に正体を尋ねると、「自分は終南県出身の鍾馗。武徳年間(618年-626年)に官吏になるため科挙を受験したが落第し、そのことを恥じて宮中で自殺した。
だが高祖皇帝は自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるためにやってきた」と告げた。
夢から覚めた玄宗は、病気が治っていることに気付く。感じ入った玄宗は著名な画家の呉道玄に命じ、鍾馗の絵姿を描かせた。その絵は、玄宗が夢で見たそのままの姿だった。
玄宗の時代から臣下は鍾馗図を除夜に下賜され、邪気除けとして新年に鍾馗図を門に貼る風習が行われていた記録がある。
宋代になると年末の大儺にも貼られるようになり、17世紀の明代末期から清代初期になると端午の節句に厄除けとして鍾馗図を家々に飾る風習が生まれた。

鍾馗図は初期には呉道玄の構図の模倣が主だったが、明代に『鍾馗全伝』などの小説が流行すると騎虎図や吉祥図など多様なバリエーションが生まれ、悪疫除けの風習とともに東アジア一帯に伝播した。


「嘘をついたら、地獄で閻魔様に舌を抜かれるよ」というフレーズは、子供を叱る時に良く使われますね~。

閻魔大王は顔の印象はショウキ様と似ていますが、もちろん別な存在です。
閻魔とは、死者の生前の罪に対して判決を下すという地獄の王です。
仏教の伝来とともに日本に入り、恐ろしいものの代名詞として知られるようになりました。
日本では、地蔵菩薩と習合することで、信仰の対象にもなりました。
閻魔の法廷には「浄玻璃の鏡」があり、死者が生前に行なった良い行動も悪い行動も、すべて映し出すとされています。
法廷には地獄の書記官、司録と司命が左右にいて、閻魔の業務の補佐的な役割を行います。
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